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治五郎日記

26歳の治五郎が懺悔するなどさせていただいております。

私の趣味は妥協されたのか洗練されたのか?

私、治五郎の今の趣味、興味が妥協の末のものなのか、洗練されたワンランク上(個人比)のものなのか?について考えるに至った自叙伝的な記事である。
 
自分の頭の整理と、誰かが「それはこういうことじゃないかい」と答えをズバリ示してくれたら素敵だなというささやかな怠け心から書き始めている。
 
 
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またこれは、今の感覚をひたすら文字にするだけの作業により、本ブログの方向づけをする初投稿の記事でもある。
 
ぬか漬けで言うと「捨て漬け」作業である。
この記事によって方向性的なものは定まるが、繰り返し漬けていくにつれて味はまた変わっていくと思う。
 
うまいこと言おうとしないで、自己紹介がてらの捨て漬け記事を始める。
 
 
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自慢ではないが、昔からほんの少しだけ偏った趣味を持っていたと思う。親譲りでも無鉄砲でもない。大人になって見れば普通に周りに同じ趣味を好きな人はいるような、趣味にちょっと目覚めるのが早かったかな、という程度。
 
その趣味はいわゆる「アングラ系」というやつ。
 
小学校3、4年生で古賀新一を知り、その流れで楳図かずお丸尾末広を読み漁る。ガロっぽいのがものすごく好きだった。中学で伊藤潤二の漫画に会う頃には「絵はきれいな作家じゃん?でもエグさが生ぬるいかな」くらいのなんだかエグさにストイックな子供だった。
※当時私がひねくれていただけであって、今読むとちゃんと面白いと思う。
 
小・中学校ではなんとなく話をするのがためらわれたが(ガロ系はエロいシーンとかもたくさんあったので背徳感もあった)、でも外で遊ぶとか他のことが楽しいので話をしなくても満足だった。
このまま続くといいな、というかこのままの感覚でもっとガシガシ突き詰めていこう、まだ面白い漫画ないかな、となんとなーーく思っていた。
 
だが、高校に入り思ってもみない事が起こった。思春期である。異性の目が気になる。ものすごくキラキラ高校生になりたくなってしまったのだ。
それまで兄のお下がりの私服で全く不満が無かった中学生が。瓶底メガネと歯列矯正を恥ずかしいと思っていなかった中学生が。机の中は目から血とか出てる落書きだらけの中学生が。ドグラ・マグラのビデオをテスト後のご褒美としていた中学生が!

もちろん本当に好きな趣味はねじ伏せられる訳もなく、 「ねじ式」を好きだと言った子を好きだと思った頃もあったが(ねじをかけてるわけではない)自分のキラキラ趣味のためにその感情は棄て置いた。
 
「趣味や恋もキラキラしないとキラキラ高校生になれない!!なれるかな?ならなくちゃ!ぜったいなってやる!」私は息巻いた。
 
同級生が続々高校デビューを果たす中、とにかく野暮ったい自分から脱せねばならないと思い、次第にそのアングラ系の趣向が邪魔になっていると考えるようになった。今まで好きだったアングラを捨て、漫画、音楽、服、「なりたい自分」が好きそうなものを身の回りに寄せるようになっていた。
 
今思えば「別に見た目だけ気にしておけばいいんじゃないか」と思うのだが、当時は自分のすべてが嫌になってしまった。
 
みんなが聴く音楽を聴く、みんなが行くところに行く、みんながしていそうな恋の相談をする、その流れでそんなに好きでもないキラキラした人に告白して玉砕する。そして友達に泣きつく。だってみんなそういうことをしていそうだから。
 
気づけばいくら頑張ってもキラキラできない自分がいた。ただひたすら趣味を大衆に合わせるだけの自分が。
さらに時は経ち、大学生〜社会人と、「わかる!」「私もこれ好き」という同感の乞食になっていた。そう言われないのが怖くもあり、また本当のアングラ趣味を悟られ無いよう必死だった。Facebookはいいねが少なくなるのが怖くて更新しない。知人の記事への「いいね」も明らかに自分がらみの記事でなければ押さない。
 
最近、当時の感覚に近いな、と同感した記事がこちら。
http://omocoro.jp/kiji/1774/ いいね!の乞食(オモコロ)
 
いいねが少ないのも怖いし、この記事のようにいいねの乞食になるのも怖かった。

そうして周りの友達の反応がますます怖くなり、いつのまにか10歳も20歳も年上の大人としか遊ばなくなった。趣味趣向が異なることが「ジェネレーションギャップ」で片付くから。当然大人と遊ぶには仕送りだけではまかなえないのでバイトに明け暮れ、大人が行くようなバーに入り浸る。休みの日はバーの人たちと遊ぶ。サークルなんて行かなくなってしまった。そんな20代前半を過ごした。
 
一番怖かったのは、周りの友達の学問や部活動や就職活動への頑張りを直視して、自分が必死になっていることがくだらない事だと言うことに気がついてしまうことだったんだろう。必死にそう考えないようにもしていた。現実逃避を拗らせて同年代を嫌い、今思い出しても赤面するレベルのひどい扱いを同級生に対してする耳年増のクソガキだった。
 
そして時はたち、社会人になり目が醒めた。と言うより、現実を直視した。
(好きでも無いもので周りを固めて、必死になるべきことから目を背けて、自分は一体何をしているんだろう。)
昔の自分に戻ろう。自分の感覚に忠実だった昔の自分はどんなだっただろう。昔好きだったものをまた好きになれば一生懸命生きれていた頃に戻れるだろうか。
 
そう、好きなものをただ好いていた頃の私は一生懸命生きていたと、ふと思った。

昔、好きだった音楽、絵、漫画、香り、とにかくかき集めた。
がむしゃらに当時の記憶を掘り起こしていたら、なんとなく、気が安らいできた気がした。
 
そして似非キラキラを目指していた自分が好きだったものを避けるようになっていった。「無理に好きになろうとしている」自分を少しでも感じたら、遠ざける。
 
断食するかの如くキラキラ趣味を断絶し、サウナ後にポカリをごっくごっく飲むような勢いで昔の趣味を吸収し続けていた。これだ。とても楽しい。まさに水を得た魚。
 
しばらくして当時の趣味を楽しむのも飽きてきて、そろそろ新しいものに触れたくなった。これが今である。
 
新たに見つけた色々な曲を聴くようになった。気に入った音楽はひたすら聴く。思考が似ているブログもいくつか見つけては深夜まで読み通す。漫画もかなり避けていたアンダーグラウンドな感じのものを読むようになった。
 
だが脳みそに引っかかる物がある。「好き!!」という脳みその電気信号がうまく届ききらない感覚。
(もしかしてこれは、過去の「無理に好きになろうとしている自分」の感覚がまだ残っていて、その感覚が好きだと思わせているのではないだろうか・・・・?)そんな考えがよぎる。

冷静に考えればそりゃそうだ、自分が戻そうとしている感覚は10年以上前の中学生の時のもので、周りのものも変わるし、自分の感覚も変わるし、全く同じ趣向のものを探そうとするほうが難しいというかどうやって探したらいいんだ。むしろ何を探したいんだ。
 
でも、戻りたいのである。
不安なのである。周りの趣味に自分を合わせていた頃の自分に戻るんじゃないかと。
「全くもって、混じりだけなしの昔の感性に戻ったよあんたは!」という確証が欲しいのだ。
 
解決策はまだない。私が今の自分自身を好いていないところに根本的な問題があることは察してはいるのだが。

 
*


ここは、そんな26歳が頭の中を整理するために始めたブログである。
後ろ向きな人生を前向きに考えるために、少しずつ吐き出して行きたい。
 
ちゃんとキラキラしたい。電気信号取り戻したい。
よろしくおねがいします。